「聞く法務」から始める契約書作成
「業務委託契約書を作ってください」
そんな相談を受けたとします。
今なら、ChatGPTなどの生成AIに指示すれば、短時間で契約書のたたき台を作ることができます。
しかし私は、AIに契約書を書かせる前に、やるべきことがあると思っています。
それは、
経営者の話を聞くことです。
なぜ、その契約書が必要なのか。
どんな相手と取引するのか。
これまで、どんなことで困ったのか。
今回の取引で何を大切にしたいのか。
契約書に書くべきことは、こうした話の中から見つかることがあります。
そこで今回は、契約書を作る前に経営者へ聞いてみたい「10の質問」を考えてみます。
なぜ契約書を作る前に「聞く」のか
契約書というと、法律の知識を使って文章を書く仕事だと思われがちです。
もちろん法律知識は必要です。
しかし、契約書は法律の教科書ではありません。
実際の取引を言葉にしたものです。
だとすれば、その取引について知らなければ、本当に必要な契約書を考えることはできません。
例えば、同じ「Web制作業務委託契約書」でも、会社によって事情は違います。
修正依頼が多くて困っている会社。
納期変更でもめたことがある会社。
制作後の著作権について問題になった会社。
途中でプロジェクトが中止になり、報酬でもめた会社。
それぞれ、契約書で重点的に確認すべきことは違います。
だから私は、
「何の契約書ですか?」だけでは足りない
と思うのです。
質問1 「なぜ、今この契約書が必要なのですか?」
最初に聞きたいのは、とてもシンプルな質問です。
「なぜ、契約書を作ろうと思ったのですか?」
新しい事業を始めるから。
大きな取引が始まるから。
取引先から契約書を求められたから。
これまで口約束で仕事をしてきたが、不安になったから。
過去にトラブルがあったから。
理由によって、必要な対応は変わります。
特に、
「以前、こんなことがありまして……」
という言葉が出てきたら、そこには重要なヒントがあります。
契約書作成の出発点は、書式ではありません。
「なぜ必要になったのか」を知ることです。
質問2 「誰と、どんな仕事をするのですか?」
次に、取引の全体像を聞きます。
誰が発注するのか。
誰が受注するのか。
具体的に何をするのか。
何をもって仕事が完了するのか。
成果物はあるのか。
ここが曖昧なままでは、契約書も曖昧になります。
例えば「コンサルティング業務」といっても、
月1回の面談なのか。
資料を作成するのか。
メール相談を含むのか。
成果まで保証するのか。
まったく違います。
契約書を書く前に、まず仕事そのものを言葉にしてみる。
これが重要です。
質問3 「お互いに何を期待していますか?」
契約トラブルの原因の一つに、「期待のズレ」があります。
発注者は、
「ここまでやってくれると思っていた」
受注者は、
「そこまでは頼まれていないと思っていた」
というケースです。
悪意がなくてもトラブルになります。
そこで、
「あなたは相手に何を期待していますか?」
と聞いてみます。
そして可能なら、
「相手はあなたに何を期待していると思いますか?」
とも聞いてみます。
この二つの答えにズレがあれば、契約書で明確にすべきポイントが見えてきます。
質問4 「これまで一番困った取引は何ですか?」
私は、この質問をとても大切にしたいと思います。
過去のトラブルには、その会社独自の「契約リスク」が隠れているからです。
納期が守られなかった。
追加作業を無料で求められた。
料金をなかなか支払ってもらえなかった。
仕事の途中でキャンセルされた。
制作物を想定外の用途に使われた。
「そんな話は聞いていない」と言われた。
こうした経験は、その会社だけの貴重な情報です。
一般的な契約書のひな型には、その会社の過去までは書かれていません。
しかし、
過去に困ったことは、未来の契約書を改善する材料になります。
質問5 「この取引で一番心配なことは何ですか?」
過去だけではなく、未来についても聞きます。
「今回の取引で、何が一番心配ですか?」
この質問に対する答えは、人によって違います。
「きちんと払ってもらえるか」
「途中で仕様を変更されないか」
「秘密情報が漏れないか」
「成果物を勝手に改変されないか」
「何度も修正を要求されないか」
経営者が感じている「不安」は、重要なリスク情報です。
不安を単なる心配として片づけず、
「何を契約で明確にすれば、その不安を小さくできるのか」
と考えてみます。
質問6 「絶対に譲れない条件は何ですか?」
契約交渉では、すべて自分の希望どおりになるとは限りません。
そこで重要になるのが優先順位です。
報酬額。
支払時期。
納期。
著作権。
秘密保持。
損害賠償。
契約期間。
さまざまな条件があります。
その中で、
「ここだけは譲れない」
というものは何でしょうか。
逆に、
「ここなら交渉してもよい」
というものは何でしょうか。
契約書を考えることは、
経営上の優先順位を整理すること
でもあります。
質問7 「どこまでやったら仕事は終わりですか?」
意外と重要なのが「仕事の終わり」です。
例えばWeb制作なら、
Webサイトを公開したら終わりなのか。
データを納品したら終わりなのか。
公開後の修正まで含むのか。
保守管理も含むのか。
コンサルティングなら、
面談を実施すれば業務完了なのか。
報告書まで必要なのか。
成果が出るまで支援するのか。
仕事の「始まり」は明確でも、「終わり」が曖昧なケースがあります。
「何をもって業務完了とするか」
は、契約書で確認しておきたい大切なポイントです。
質問8 「途中でやめることになったら、どうしたいですか?」
契約するときには、うまくいく未来を考えます。
しかし、すべての取引が予定どおり進むとは限りません。
相手の事情。
自社の事情。
事業環境の変化。
さまざまな理由で、契約を途中で終了する可能性があります。
そこで、
「途中でやめる場合は、何日前に伝えるのか」
「途中まで行った仕事の報酬はどうするのか」
「制作途中のデータはどうするのか」
「預かっている情報はどうするのか」
などを考えておきます。
契約書はトラブルを想定するものだから縁起が悪い、ということではありません。
きれいに終われるように準備することも、良い関係をつくるための法務です。
質問9 「成果物を将来どう使いたいですか?」
これは特に著作権が関係する仕事で重要です。
例えば、
文章。
写真。
イラスト。
動画。
Webサイト。
デザイン。
ソフトウェア。
などです。
成果物について、自社サイトだけで使うのか。
SNSでも使うのか。
広告に利用するのか。
内容を変更して使いたいのか。
別の商品にも利用したいのか。
海外でも利用する可能性があるのか。
将来の利用方法によって、契約時に確認しておくべきことが変わります。
「著作権をどうするか」と聞くだけでは、難しく感じる経営者もいます。
それより、
「この成果物を将来どう使いたいですか?」
と聞いたほうが、具体的な話が出てくることがあります。
法律用語から聞くのではなく、実際のビジネスから聞く。
これも「聞く法務」のポイントです。
質問10 「相手に聞きにくいことはありますか?」
最後に、ぜひ聞いてみたい質問です。
「取引相手に、本当は確認したいけれど、聞きにくいことはありませんか?」
例えば、
「支払日を確認したいけれど、お金に細かいと思われそう」
「追加料金について言い出しにくい」
「著作権の話をすると、信用していないと思われそう」
「途中解約について聞くと、やる気がないと思われそう」
こうした心理的な問題があります。
しかし、
聞きにくいことほど、後から問題になりやすいことがあります。
契約書には、直接言いにくいことを「ルール」として確認できる役割もあります。
そう考えると、契約書は人間関係を冷たくするものではありません。
むしろ、
言いにくいことを事前に確認し、良い関係を長く続けるための道具
にもなるのです。
10の質問から契約書が見えてくる
ここまでの質問をまとめると、
- なぜ、今この契約書が必要なのか
- 誰と、どんな仕事をするのか
- お互いに何を期待しているのか
- これまで一番困った取引は何か
- 今回一番心配なことは何か
- 絶対に譲れない条件は何か
- どこまでやったら仕事は終わるのか
- 途中でやめる場合はどうしたいのか
- 成果物を将来どう使いたいのか
- 相手に聞きにくいことはないか
となります。
この10個を聞いてから、
「では、どんな条項が必要でしょうか」
と考える。
この順番が大切だと思います。
AIに聞くのは、その後でも遅くない
経営者へのヒアリングが終わったら、そこで初めて生成AIを活用することもできます。
例えば、
「この取引では、修正回数と追加料金が過去に問題になっています。契約時に確認すべき論点を整理してください」
とAIに質問する。
すると、単に、
「業務委託契約書を作ってください」
と指示するより、具体的な検討材料を得やすくなります。
つまり、
人に聞く → 問題を整理する → AIに聞く → 人が判断する
という流れです。
私は、この順番がAI時代の企業法務では重要になると思います。
「良い契約書」とは何だろう
条項が多い契約書。
難しい法律用語が並んだ契約書。
ページ数の多い契約書。
それが必ずしも「良い契約書」とは限りません。
私は、
その会社の取引実態に合っていて、お互いが約束の内容を理解できる契約書
が良い契約書だと思います。
そして、そのためには経営者の話を聞く必要があります。
法律だけを見ていても、会社の事情までは見えてきません。
「聞く法務」という考え方
企業法務では、どうしても「答えること」が注目されます。
「これは法律上問題がありますか?」
「この契約書で大丈夫ですか?」
「この条項は有効ですか?」
もちろん、専門職として答えることは重要です。
しかし、その前に、
「なぜ、その質問をしたのですか?」
と聞いてみる。
すると、相談者が本当に困っていることが別のところにある場合があります。
契約書を作ってほしいという相談の背景に、
「取引先との関係を悪くしたくない」
という悩みがあるかもしれません。
著作権の相談の背景に、
「クリエイターと長く仕事を続けたい」
という思いがあるかもしれません。
だから私は、
法務は「答える」だけではなく、「聞く」ことから始まる
と考えています。
「聞く法務」とUXはつながっている
これまで「企業法務もUXで考える」というテーマで、契約書や生成AIについて考えてきました。
UXとは、利用する人の体験です。
そして良いUXを作るときには、
「利用者は何に困っているのか」
を知る必要があります。
これは企業法務でも同じです。
経営者は何に困っているのか。
取引先は何を不安に思っているのか。
フリーランスは何を確認したいのか。
それを「聞く」。
つまり、
法務UXの出発点も、やはり傾聴なのです。
契約書を書く前に、人の話を聞く
生成AIによって、契約書の文章を作ることは以前より簡単になりました。
これからAIは、さらに便利になるでしょう。
だからこそ、人にしかできないことを考える必要があります。
その一つが、
「話を聞くこと」
だと思います。
これまで何に困ったのか。
何を心配しているのか。
何を大切にしたいのか。
相手に何を期待しているのか。
そして、本当は何を聞きたいのか。
そこまで聞いて初めて、その会社に必要な契約書が見えてきます。
AIに契約書を書かせる前に、人に聞く。
AIから答えを得る前に、良い問いをつくる。
そして最後は、人が判断する。
私は、これからの企業法務には、
「AIを使う力」と同じくらい、「人の話を聞く力」が重要になる
と思っています。
契約書は、人と人との約束です。
だから、その出発点もまた、
人と人との対話でありたい。
それが、私の考える「聞く法務」です。
